広島地方裁判所福山支部 昭和37年(わ)15号 判決 1963年11月01日
被告人 中村洋壮
昭八・五・一八生 労働組合役員
主文
被告人を懲役三月に処する。
但し、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(被告人の経歴及び本件発生に至るまでの経過)
被告人は昭和二七年四月郵政省職員となり、昭和三〇年三月全逓信労働組合広島地方貯金局支部青年部長に選出され、以後引続き同組合役員を歴任し、昭和三六年六月から同組合広島地区本部書記長たる地位にある者であるが、同年一二月同地区本部が、同組合中央本部から各地方本部に対し発した職員四万名の増員による労働軽減と郵便遅配の解消、組合案による仲裁裁定の完全実施、管理者の一方的労働指揮権の排除、年末手当二、五ヶ月分の増額、郵便業務の合理化等の諸要求を掲げた斗争指令に基き、広島郵便局及び福山郵便局の両局を同地区内の拠点局に指定して、右要求貫徹のため団交再開を要求し、いわゆる「年末斗争」を行つた際、同地区本部から調査部長中村武と共に「オルグ」として同組合福山支部に派遣され、同月三日から同月九日までの間、福山郵便局における斗争の指導に当つた者である。
同組合は、同月三日前記福山支部を改組して福山市周辺の組合員をもつて新に同組合備南東部支部を結成し、同月五日、六日の両日、右組合支部長宇田浚一は前記指令の趣旨に基き、福山郵便局長弘中善七に対し、郵便集配出発時刻等についての団体交渉を申入れると共に、同局長、同局集配課長松本福一等に対し、集配出発時刻を厳守し、集配員を定刻に出発せしめるよう折衝を行つたが、同局長は右団交申入れに対し、組合側の新支部結成後日浅くこれに対応する管理者側交渉委員の選定が未定であること、組合側交渉委員に上部機関の役員が含まれており、上局からの指示により上部機関の役員は説明員として団体交渉への参加は認めるも、交渉委員としては認められないこと、年末における事務繁忙の際、組合側の斗争体制により業務阻害の行われていること等を理由として団体交渉に応ずることを拒否し、他面同月六日、七日の両日、組合側の斗争体制に対処すべく、広島郵便局から管理者側職員一一名が、業務の正常な運行を図るため福山郵便局に派遣され、組合側もこれに対応して同月七日以後近隣の郵便局から二〇名余の組合員を同局に動員するに至つた。
かくして同月九日午前七時過頃から組合側動員者数名が、同局集配課休憩所で待機し始め、次第に動員者の人数が増加して午前八時頃には二〇名余に達し、同課内の郵便物区分棚で郵便物の道順組立作業に従事していた同課所属集配員に近付き小声で話しかけるに至つた。
(罪となるべき事実)
被告人は、右九日午前八時五分頃、右のような組合側動員者等の動静により、集配員等が組合側の主張に同調して行動することを防止するため、同課課長代理席前附近において、集配員に対し道順組立にかかるよう業務命令を発してその作業状況を監督していた同局集配課長松本福一の左手を引張り、同課長の背後から背中を手で押し無理矢理同人を集配課長席迄押しやり、肩を手で抑えて椅子に着席させ、手近にあつた椅子を同課長の横に引寄せて座り、同課長を詰問し、立上ろうとする同課長の肩を抑え、両脚で同課長の両膝を挾んで動けないようにし、午前八時四〇分頃、集配員に対し作業手順を指示するため業務命令を発しようとした同課長の口を手で覆い、同課長の顔に自己の顔を接近させて大声を発し、更に午前八時五〇分頃、組合側動員者が集配員に対し出発するよう促しているのを認めた同課長が、集配員に対し作業を続行せしめるため業務命令を発しようとしたところ、同課長の顔に自己の顔を接近させて大声を発する等の暴行を加えて業務命令の下達を不能にし、もつて同課長の右職務の執行を妨害したものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第九五条第一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を懲役三月に処し情状刑の執行を猶予するを相当と認め、同法第二五条第一項により、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。
(弁護人等の主張に対する判断)
弁護人等は
一、本件における松本集配課長の公務執行は、法規並びに労使間の確約に違反し、且つ業務運行上不必要なものであるから違法である。即ち、郵便集配運送計画規程に示された市内通常配達の出発標準時刻は一号便は午前八時であるが、運送便との結束関係、集配郵便物数、人員の配置及び土地の状況等を考慮して福山郵便局(取集度数四度以上の地の局に該当)においてはその時刻を一時間を限度として繰下げ得るので、右規程に基き福山郵便局の通常配達一号便の出発時刻は午前八時五〇分と定められており、右のように決定された集配出発時刻はもはや標準時刻(一応の目安の時刻)ではなく、午前八時五〇分の到来と同時に出発しなければならない時刻であるから、これを厳守すべきであつて、日々変更すべき性質のものではない。従つて、集配員が定刻に出発することを阻止しようとした同課長の業務命令は右規程に違反する違法な業務命令である。また、同月六日、同課長は同支部執行委員である豊田司朗に対し、集配員を定刻に出発させる旨約束しており、これは職場単位における組合側代表者と管理者側代表者間の話合いで、労使間の労働条件に関する確約であるから同課長はこれを遵守すべき義務がある。然るに同課長の業務命令はこれを無視したもので、労使間の約束遵守義務に違反した違法のものである。更に本件発生当時集配員は平常どおり作業に従事していたもので、組合側は集配員に対し出発時刻には是が非でも出発させるよう具体的指導はしていないから、同課長が集配員に対し業務命令を発するが如き異例の措置に出なければならない必要はなかつたものである。然るに同課長が敢てこの挙に出たのは管理者側の予め協議決定した労務対策上の一手段に過ぎず、同課長は予め決定された時間と内容に従い、機械的に業務命令を発したもので、しかもわざわざ業務命令を発する旨前置きするような威圧的態度により相手方の憤激を誘発し、殊更に紛争を助長せしめる以外のなにものでもなく、結局右業務命令は職権を濫用した紛争誘発行為で、その本質は不当労働行為であるから違法である。
以上いずれの点よりするも松本集配課長の業務命令は違法であるから、違法な業務命令を阻害したとて公務執行妨害罪は成立しない。
二、本件斗争において組合側の執つた手段は遵法斗争であり、遵法斗争は争議行為ではなく、労働組合法第一条第二項に定める労働組合の団体交渉その他の行為に該当し、同条第一項に掲げる目的を達成するためにした正当な組合活動であり、また被告人が同課長に対し団体交渉を求めるため本件行為に及んだことは、憲法第二八条に規定された団体交渉権ないし団体行動権によるものであり、労働組合法第一条第二項の正当行為である。
三、同課長の業務命令は右のとおり違法なものであり、その行為は組合員の労働基本権に対する急迫不正の侵害であり、被告人の本件行為はかかる違法な行為がまさになされようとするときこれを阻止するため止むを得ずなされたものであるから正当防衛行為である。
四、被告人の本件行為はその目的が正当であり、その手段方法において相当且つ必要であり、被告人の行為により侵害された同課長の個人的利益に対し、被告人が守ろうとした組合員の利益の方が遙かに大であるから超法規的に違法性が阻却される。
旨主張するので以下右主張について判断する。
一、集配課長の公務執行の適法性について
郵政省職務規程(昭和二四年九月五日公達第三九号)によれば、集配時刻は郵便局長がこれを定めるものとされ、その設定基準については、郵便集配運送計画規程(昭和二七年八月三〇日公達第一〇五号)に各標準時刻が定められ、右規程第二三条第一項によると、市内通常配達の出発標準時刻は一号便が午前八時、二号便が午後一時とされ、同条第二項によつて福山郵便局のような市内通常取集度数四度以上の郵便局はおよそ一時間の限度で繰下げることができ、昭和三三年五月二三日郵服第二、一七一号通達により右一号便繰下げの限度は午前九時半迄とされ、郵便局長は右限度内において、当該郵便局の実情を考慮して適宜集配時刻を決定できるものとされることは所論のとおりである。しかしながら、郵務部長から各集配局長宛発せられた集配業務の運行についての通達(昭和三二年一〇月四日郵業務局四、四六〇号)によれば、配達各便の出発については、道順組立の完了次第逐次出発せしめ、できる限り標準出発時刻までに全員が出発し得るよう適切なる指導を行うこと、配達郵便物のうち肩書不充分、名あて不完全等により道順組立の困難な郵便物が多いため、道順組立が著しく遅延する恐れのある場合には、一まずこれらの郵便物を除いて道順組立を完了し、出発時刻迄可能な限りにおいてこれらの郵便物を差込み、残余は帰局後処理して次便で配達する等の措置をとるべきことが指示されている。右規程及び通達の趣旨に、郵便集配業務が国民生活に直結し、特に迅速適確に行わねばならない重要なことがらであり、集配員に過分の負担とならない限り、多少出発時刻が遅れても予定された郵便物はその配達便で受信者に配達することが望ましいことを併せ勘案すれば、集配員は道順組立完了次第標準出発時刻までに出発することが原則であるけれども、道順組立の困難な郵便物が多いため、出発が遅れ延いては集配員に過分の負担となる虞れある場合はこれらを除外して道順組立をなすも、さもない限りは多少の出発時刻が遅れても受持郵便物はすべて道順組立を終えて出発すべきを相当とし、従つて郵便局長の設定した集配出発時刻も確定不動のものではなく、一応の標準時刻を定めたものと解すべきである。さすればこそ証人弘中善七、同松本福一の当公判廷における各供述により明らかなように郵政当局も右のような見解の下に、下部機関である集配郵便課長に対しその旨指示していることが認められる。
また証人豊田司朗の当公判廷における供述によれば、同月六日、集配課長松本福一は同証人の要求に対し、集配員を所定の集配出発時刻に出発させるようにするが、少々の遅れは大目に見て貰いたい旨述べたことが認められるが、右趣旨は必ず定刻に出発させる旨約したものとはなし難く、他に同課長が弁護人等主張のように集配員を定刻に出発させる旨確約したことを認めるに足る資料は存しない。従つて労使間の確約に違反した旨の主張は採用できない。
更に福山郵便局課長委任規程によれば、同局集配課長は同局長から所管業務の作業手順方法を指示することを委任されていることが認められるところ、組合側は当時斗争体制下にあり、集配員の定刻出発を要求して団体交渉を申入れ、同月七日以後多数の組合側動員者が同局に集合し、当日(同月九日)も前記認定のとおり早朝から多数の組合側動員者が集配課休憩所において待機している状況下にあり、証人松本福一の当公判廷における供述によれば、同集配課長は、これら組合側動員者に集配員が同調し、正常な業務運行の乱れることを憂慮して、集配員に対し業務命令を発して作業手順を指示していたもので、同課長が課長代理席前附近において立つていたのも、組合側動員者の集配員に対する働きかけを監視し集配員に対し適切な指示を与えるため同人等を監督する業務に従事していたものであり、午前八時四〇分頃、業務命令を発しようとしたのは、前に業務命令を発しているので、その後の手順を指示すためであり、また、午前八時五〇分頃業務命令を発しようとしたのは、組合側動員者が集配員に対し時間が来たので出発するよう促しているのを認めて、集配員に対し道順組立の完了するまで作業を続行するよう指示するためであつたことが認められる。証人松本福一、同中本俊雄の当公判廷における各供述によれば、同日午前八時五六分頃集配員の一人が二七四通の郵便物を残留して出発していることが認められ、右のような状況下にあつては、同課長の判示認定の職務執行は必要かつ適正であつたものというべきである。
以上のとおり集配課長松本福一の本件公務執行は何等違法とすべき理由はない。
二、労働組合法第一条第二項の正当行為の主張について
いかに法規を遵守するに過ぎないと言つても、労働組合が自己の要求貫徹のため業務の正常な運営を阻害することをもつてなされるときは、争議行為として評価さるべきであるところ、前掲各証拠によれば、本件において全逓信労働組合は増員要求貫徹のため、福山郵便局を拠点局として集配員多数をして残留郵便物を存したまま定刻に出発させ、業務の正常な運営を阻害しようとしたものであることが認められ、況んや郵政省の規程も前記のとおり集配員の定刻出発を定めたものではないから、集配員が所定の標準時刻到来と同時に出発することを指して所謂遵法斗争とも言い難く、本件斗争は争議行為といわざるを得ない。しかして公共企業体等労働関係法第一七条第一項により、郵政職員は争議行為を禁止されている以上、本件斗争は正当な組合活動ではなく、従つて同条違反の争議行為には労働組合法第一条第二項の適用はないものと解すべきである。また、被告人の行為が団体交渉再開のためになされたものとしても、被告人の判示所為は、団体交渉権回復のためになされた己むを得ない行為と見るべき限界を逸脱しており、労働組合法第一条第二項の適用の余地なきものと解すべく、右いずれの点よりするも被告人の本件行為は正当な行為ということはできない。
三、正当防衛の主張について
前記のとおり松本集配課長の本件公務の執行は何等違法の点はないので、組合員の労働基本権に対する急迫不正の侵害であるとは認められないから、右主張はその余の点を判断するまでもなく失当というべきである。
四、超法規的違法阻却事由について
最近の判決例及び学説は超法規的違法阻却事由を認め、その論拠として概ね行為が犯罪の構成要件に該当し、形式的に違法性を推認せしめるものであつても、行為の違法性を実質的に理解し、右行為が健全な社会通念に照らし、その動機目的において正当であり、その為の手段方法として相当とされ他の方法によることのできない唯一の方法であり、その行為により保護しようとする法益と行為の結果侵害さるべき法益とを対比して均衡を失わないものと認められ、その行為が社会共同生活の秩序と社会正義の理念に適応し、法律秩序の精神に照らし是認できる場合には、たとえ正当防衛、緊急避難或は自救行為の要件を充さない場合であつても、超法規的に行為の形式的違法性の推定を打破し、犯罪の成立を阻却するものとしているが、本件についてこれを観るに、たとえ被告人の判示所為が団体交渉再開の目的のためになされたものとしても、前記のとおり松本集配課長の公務執行には違法の点なく、前記認定のような被告人の本件行為は右目的のための手段として、健全なる社会通念に照らし相当であり且つ他の方法によることのできない唯一の方法であり、社会共同生活の秩序と社会正義の理念に適応し、法律秩序の精神に照らして是認できるものと考えることはできない。
以上のとおり弁護人等の主張はいずれも理由がないので採用することはできない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 伊達俊一 岡田勝一郎 前田亦夫)